次の世界には大人検定が必要になる。つい20年前まで歳がくれば自動的に大人になっていたと聞いた。ふわっとしてても、万能感が残ってても、おいおい学んでいくだろうし、だいぶ未熟な大人でも許されていたらしい。自由と責任の良いとこ取りっぽくて羨ましいな。
現在、幼児のスタートから段階を踏んで子供、少年、青年、大人それぞれに検定があり、文字通り大人が最後だ。空や宇宙の事も知ってなきゃいけないし、そもそもこれにパスしなければ、無人タクシーの配車もできなきゃ、ネット接続のフルアカウントも持てないし、ペットだって飼えない。ただ、この検定があることで親になる人が増えたらしい。たった今この現世を生きてる私にとっては、そういうもんだろってな感じで特に違和感は無い。逆にこないだまでの守られていた青年世代も、割と楽しくやれてた気もしてる。
目下第3ステージの僕は試験の真っ只中。次ステージはこのテーマの実地試験になっている。まず通らなきゃ始まらないけど、いったいどんな出題になるのか。記述式だから、有ること無いこと書きまくればなんとかなるだろうと思いたい、っていうかなってくれ。もちろんなんでも持ち込みOK。けど、しょうもない受け売りは出来れば避けたい、そんな覚悟を持って少しはまともな事を書きたい。大人になるんだし。
さあ、まもなく時間のようだ。
〜〜問題〜〜
遊んでいる息子がいる。親は『勉強しなさい』と声をかけた。この親の言動は間違っているものとして最適解を導き出せ。
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解答
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自身が小さい頃におそらくそう言われてきたという理由での言動だろうが、そもそも勉強しなさいと言われて、私はやった記憶が無い。他の皆も似たような経験があるんじゃないだろうか。効果が無いもの乏しいものを続ける理由は無いから、今すぐ “やめるべき”。声をかけるにしても別のワードがあるんじゃないだろうかと思う。
勉強という単語はあまりにも漠然としてるし、それでいて煩雑だ。大人の解釈ではそれに意味を込めるのは自然でよくあるが、子供にその思いをわかれというのは酷だ。時に、大人は子供の頃見上げてたリアルを忘れてしまうもの。私も訳の分からない大人の悦に酔った言葉を、口を開けて聞いてたのをふと思い出した。合点がいってないという理由で「勉強しなさい」ではコミュニケーションも成立していない。更にこれに込められた怠慢も大きな問題だと感じる。「これにて全てをお察し下さい」の姿勢も上同様にやめるべきだ。
例えば、このワードを置き換えるなら具体的で想像しうるもの、算数、サッカー、川に飛び込むこと、など思いついたものを何でも考え無しに提案してあげたい。何か情報を手に入れて実践に結びつける、これの基礎編なわけで内容はおよそどうでも良い。そのうちに勝手にあらゆるメディアから情報を得るようになるから、その掛け橋をするだけ。この段階では一例一方法論としてあればそれでいい。
物事のありふれた正解ならそこら中に転がってるわけで、別に親が率先して教える必要は無く、それは怠慢ではなく省いていい箇所だ。世の中には、答えがある事と無い事があり、その原理だけわかるように伝えてあげられたら十分だ。近親者の優しさと共にないとダメな言葉があるし、愛されていないと理解できない言葉も様々存在する。
そのうちに蹴って渡したボールが返ってくる。コミュニケーションの回収だ。上記で忙しい大人の為に時間を切ってきたが、むしろここからに時間を割きたい。想像力を生かせる大人になるには、まずは自分がやってきた事をどう表現するかが何よりも大事だからだ。問題が解けた時どんな気持ちになったか、右手を思い切り伸ばしたら池に落ちたとか、あらゆる心情・情景を拾ってやりたい。
もちろんそのまま声や身振りで聴くのもやぶさかでは無いが、その前の段階としてメッセージツールにまとめ&送信する作業や写メを活用したい。気持ちや思い出の整理を可視化することで、自分自身が何を伝えたいのかがわかってくる、或い的を得ていなくても大人にその真意が伝わる。それを目で追いながら身振り手振りを使って表現したらいいと思う。その時、表面に溢れ出て来るのはワクワクなのか音色なのか匂いなのか、また別の何かなのか。
その全てが尊重すべき表現力である、と同時に『勉強しなさい』では成し得ることがなかった結晶になる。