夕暮れと陰に流れるパレード

あおり運転の問題が表面化してきている。大々的に事件になるものもあれば、その啓蒙及ばず今だに発生しては消えてを繰り返している。カメラやSNSメディアの発達でいとも簡単に拡散できているのが最も大きいのだろう。昔からよくあった事だとは思うが、証拠が乏しかった等の条件もあり、悲しい事件が起こっても、その行為と直接結びつけるまでには至らず… そんな事も少なからずあったと感じている。筆者も当然何度となく体験した事があるが幸いにも事故には至ってはいない。

たくさん文献や報道を散見していく中で、興味深かったのは歯止めをかけるべく前頭葉はストレスによってその箍(タガ)が緩む、或いは外れるということ。そしてそのストレスは一般的な解釈内にある「悪い因子による」ものではなく、複数のことを同時にこなすその状態と言い換えることが出来るということ。

運転する=同時に多くの処理が必要

道路を状況判断、速度規制、信号機、車線変更、ウインカー、対向車、並走車、追随車、ナビ視聴、同時に処理するものをあげていったらキリがない。このくらい出来て当然と言えばそれまでだが、この状況の上に気を配らなければならないまだ未成熟な子供が同乗していたらどうだろう。その上でさらに自分の進路や走行速度の妨げになるようなクルマ、またはヨロヨロした自転車等がいたらどうだろう。さらに寝不足だったら? 想像して、あともう少しで自分の限界が見えてしまった、なんて人もいるんじゃないだろうか。

自分にもその可能性がある

そんな状況におかれたら自分ならどうだろう、そしてどうすべきか。対処として慣れておくべきか? 予想外の排除か? いやそうなる前に休憩を挟むのか?念頭に置いた上で、普段から余裕ある行動を心がけたい。『自分だけは大丈夫』は通用しない。

似たように気を配らなければいけないものとして、自分自身が自転車に乗る場合やバイク、職業としてタクシー、トラック、バスなんかもその対象に入るだろう。普段慣れていることでも、少しの外的要因が加わったら簡単に箍が外れる可能性があること覚えておきたい。

のり

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